インドでの仕事があり、インドの価値観を調べてみたら、インド人気質に対してネガティブな意見が多いことに驚きました。いわく「時間を守らない」「自分勝手」「平気でうそをつく」「目立ちたがり屋」「人の話を聞かない」「質問に遠慮がない」「やたら接近してくる」といった調子です。私にとってのインド人は、愛すべき「フーテンの寅さん」です。時間が早いとか遅いとか、小さなことは気にしない。お天道様の下、誰に遠慮することもなく堂々と生きる。大言壮語、目立ってこそ意味がある。人情に厚く、人に親切にありたい。だから、人に道を聞かれたら、たとえ知らなくても、自信満々に適当な方向を教える。遠い島国から来たマイクロマネジメントの東洋人が、自分のことを悪く言っても、全然気にしない。そんな人間でも寛容に受け入れる。以下、寅さん風に語ってみました。
インド人気質① 事大主義
とにかく大きいのだ。俺のセミナ―を聞いただろう!インドの経営管理の歴史を5,000年前まで遡って解きほぐしたんだ。外国人の奴らはみんなたまげていたね。1980年代からせいぜい30年ほどの経緯を説明した日本人のコンサルなんかより、全くモノを見るスケールが違う。大きな絵を描くのは得意だ、実現するかは二の次だ。リーダーシップの最大の価値は、フォロワーに方向性を示すこと。いかに大きな絵を描いて、人を巻き込むかだ。大きな夢を描く、人々はそれをフォローする。それが部下たちを幸せにしてあげることさ。だからさ、話すときはシツコイよ。接近度合も半端なく近い。熱情が伝わることが重要。もちろん一方通行さ。緻密性に欠けるとか、プロセスが標準化されてないとか、実用性に乏しいとか、まあそれもひとつの見方だけどね。
インド人気質② 多様性
とくかく人が多いね。パキスタンやら、スリランカやら、離れたい奴らは離した。でも13億人いる。地球上の土地面積のわずか3%ほどのところに、地球人口の20%が住んでいる。東西南北、みんな違う。多様性ってやつだ。だからいちいちチームづくりとかしていたらきりがない。自分自身の力とエゴを最大限発揮すること。それこそが、この多様で過密すぎる人間の中での、自分の人生の価値の極大化の常道だ。在庫管理も、ジャストインタイム(JIT)とか、同質性や標準化が要求されるような、手のかかることはしない。我々は常に何事もジャストインケイス(JIC)だ。必要なとき、運がよければすぐ手に入る。供給とはそういうものだ。チームワークが下手とか、無秩序とか、そういう風に言いたければ、そう言って、食あたりになってホテルで寝ているがいい。でもちゃんと助けてあげるよ。
インド人気質③ 権威主義
いろんな人間がたくさんいるんだ。だから権威や権力という道具は社会の安定には必要なんだ。たとえば、コインを投げて裏か表かで百万ドル賭けたりするだろ。コインは1セントの経済価値だけど、百万ドルを左右するジャッジをする。権威ってそういうもの。日本人が質問してきたんだ。「インドでのリーダーシップの源泉は何ですか?」って。だから答えた、「独善性です」って。そしたら奴は続けてきた「それは、あなたがこれまで言ってきた、“コミュニケーション”とか“透明性”とか、そういうものと矛盾しませんか?」ってね。だから言ったよ「全然矛盾しません」。奴はこの卓越した回答に絶句していたね。リーダーの地位だったら、明確かつ自信をもって指示をすること。報連相なんか無用だよ。部下を集めて一瞬で指示を飛ばす。部下たちは急いで持ち場に戻ってハードワークするね。でも、彼らは指示はわかったけど、何していいかわからないんだよ。だから、あとで、教えてやんなくてはいけない。これは結構時間かかるんだ。
インド人気質④ 強くて寛容
やっぱりまだまだ貧しい。日本人の君たちは「Live to work」だろ。俺たちはまだ「Work to live」なんだよ。どんどん人が増えてるから、職の数の増加が追いつかないんだ。うかうかしていたら生き残れない。強く、たくましく生きることが最低条件さ。ハードワークも厭わない。だからって弱い人間を食いつぶして自分を肥やすようなことはしないよ。知ってるかい?日本にたくさんあるインド料理店のインド人、あれ多くはネパール人なんだよ。ネパール人は料理が得意なのさ、中国の福建人みないなもの。だから彼らの出すインド料理って、北インド・ネパールの料理さ。パンもナンばかりだろ?あれは北インドのパンなんだ。普通はナンより、パティやドサやいろんなパンがあるんだよ。でもだからって、どっかの国の役所みたいに「すしポリス」とか言って、外国の亜流日本料理を峻別するような、料簡の狭いことはしないよ。ネパール人がインド人のフリして、それでお金を稼げるなら、それだけ俺たちインド人が凄いってことの証明さ。やつらを稼がせてやれよ。俺はもっと創造的に行くよ!
まとめ:
インド人&寅さん風に語ってみました。我々日本人はとても同質的な人間の中で生まれ育ってきているので、異質なものとの接触経験がありません。観光や短期の業務出張とかで、現地に行ったとしても、そこで話す相手は日本人同士だったり、日本人をよく理解してくれる人です。ですので、実際に現地で現地の人と仕事したりすると、とたんにその異質性に驚き、そして自分の価値観が受け付けないことを、「悪いこと」「価値のないこと」と見てしまいます。カーネギーの本に悪党アルカポネの逸話が出てきます。刑務所で多くの殺戮の理由を聞かれたカポネは答えました「俺から殺そうと思ったことは一度もない。でもやつらが俺の家族を襲おうとしたんだ。だから俺は家族を守る必要があった。」つまり、すべての人は「よい行い」をしています。しかし、それが自分の側の価値観では異なった解釈になるだけです。違うことは悪いことではありません。「みんな違って、みんないい。」です。
執筆者
黒田 和光